INTERVIEW
電通沖縄で働く「人」
メディア・トランスフォーメーション部
チーフ・コミュニケーション・ディレクター
沖縄に生まれ育ったNさんは、大学時代にオーストラリアでの暮らしを2年経験し、あらためて沖縄に暮らし、沖縄のために仕事をするということの意義を感じていると言います。クライアントに寄り添いながら、その先にある沖縄の未来を豊かなものにするために。Nさんの仕事への想いを訊きました。
QUESTION.
就職する前に海外で暮らしていたそうですが、何がきっかけだったのですか?
元々、一度外国に出たいとは思っていましたが、大学時代に飲食店でアルバイトしていて、お客さんに「今振り返ってみて、後悔していることって何ですか?」とよく訊いていたんです。すると「海外に行っておけばよかったな」と言う人が多くて。そういった動機もあり大学3年時に、2年ほど休学してオーストラリアに行くことにしたんです。留学ではなくてワーキングホリデーだったのですが、シドニーでウェイターを経験したり、セカンドビザ取得の為に田舎のブドウ農家で毎朝5時起きを繰り返す生活を約3ヶ月送っていました。
誰しも海外に数ヶ月住むだけで何かしら価値観は変わると思いますが、僕自身もそうでした。海外でもなんとか生活できる。外国の知り合いもたくさんでき、「何かあればウチで働きな」と言ってくれる人さえもいて、たとえ就活がうまくいかった場合でも、海外に住めばいいんだという余裕ができました。
QUESTION.
海外での経験を経て、就職は沖縄でと思ったのはなぜですか?
海外から日本を見ると、東京とか沖縄とかはあまり関係ないなと。生活するうえで何を重視して、何に生きがいを持つかの方が大事だと思うようになりました。ただ、最終的には沖縄がいいと思いました。これからはエリアや国境を越えて活動できるし、周りには人種や考え方に多様性があり、 観光産業ではまだまだ伸びしろがある。狭いところにいるように見えて、意外に広い視野が持てる環境だと思います。また沖縄の“言語化できない空気感や雰囲気”は、沖縄に住んでこそ感じられるものです。「仕事をする」ということは「何か生産する」ということですから、それが沖縄のためになれば、ということが僕のモチベーションのひとつだったりする。そういう理由で沖縄を選びました。
実際、ほぼ毎日東京や海外のチームとも仕事でやり取りをしています。沖縄にいながらこのような経験をさせてもらえるのはありがたい事です。
QUESTION.
その就職先として電通沖縄に入りたいと思ったのはなぜですか?
中学・高校の時から、広告、特にテレビに興味がありました。文字通り「広く告げる」ことができる部分に魅力を感じたんです。また、出身の琉球大学では、社会学部でマスコミ学を専攻していて、沖縄のジャーナリズムを学んでいたこともあり、県内のマスコミか広告代理店のどちらかに入りたいと思って受けて、最初に内定をいただいた電通沖縄に決めました。
QUESTION.
ビジネス・プロデュース本部ではどのような仕事をされているのですか。
主に沖縄県の民間企業を相手にした業務をしています。ざっくりいうと、「クライアントのための課題解決」です。担当する既存クライアントがメインなので、先方からオリエンテーションを受け、そこから社内でチームをアサインし、ソリューション出しのブレスト。クライアントに提案し、承認を頂く事が出来れば実施・実行。その後、検証までというのが一通りの流れです。その他では、「自主プレゼン」と言って、クライアント自身は課題だと思っていないことでも、潜在的な部分を課題と捉え、こうした方がいいじゃないかという提案を僕らから自主的にすることもあります。
QUESTION.
クライアントと深く関わっているからこそ見えてくる課題がある、と?
担当の企業はどういうことをしているんだろうと、深追いするのは必須ですが、その業界の動向や様々なニュースを見て、それを読み解き、これからこういうことをしたらいいのではないか、という業界研究から生まれる自主提案もあります。また、電通グループは広くつながっているので、そこから知見を共有し、こういうソリューションがありますという提案をする。おおまかに言うとその2パターンです。
僕ら営業は、電通沖縄にいながらも、クライアントと向き合う時間の方が長く、社内よりも社外とのコミュニケーションが多くなるので、クライアントに寄り添う仕事だと言っていいと思うんです。だからクライアントの一員という意識は強いですね。その上で、社内チームをどう動かすかということを考えることが必要だと思います。
QUESTION.
印象に残っている仕事を教えてください。
僕は入社してすぐ営業に配属されて、その後、メディア、デジタルの仕事をし、2年半前に営業に戻ってきたんです。その戻ってきたタイミングでの最初の仕事が一番印象に残っていますね。
クライアントは外資系のミネラルウォーターのメーカーだったのですが、沖縄エリアで先行プロモーションをするというので、そのプロジェクトに途中から参加し、担当することになったんです。戻ってきたばかりで営業のことをよくわかっていない時で、しかも厄介なことに先方は英語。いろいろ困難がありましたが、しっかり準備したことが功を奏し、クライアントに満足していただけた、という実感が得られました。その時のニュースリリースも各メディアに載って、今も残っていますし、準備している時はこれがどういうふうになるんだろう、と手探りだったのですが、こうしてちゃんと形になるんだということを改めて知れた初めての体験でした。特に外資系のクライアントの場合、東京や全国で展開する前に沖縄でプロモーションをやることも多く、ここでやったことが、翌年、東京で行われていたりすると、あの案件が少しでも生かされたのであれば、頑張った甲斐があったなと実感します。
QUESTION.
他に思い出の深い仕事はありますか?
コロナ禍だったからこそ一緒になってできたのが、沖縄ヤマト運輸様との仕事でした。というのは、沖縄ヤマト運輸様は、毎年、プロバスケットボールチームの琉球ゴールデンキングスに協賛しているのですが、コロナ禍において会場で声を出して応援ができない中、キングスに沖縄ヤマト運輸様ができることは何だろうと一緒に考えたんです。例えば、飲料メーカーなどであれば物品提供など分かり易いサポートができますが、沖縄ヤマト運輸様は商品や提供できる物品がない。であれば、ブースターの声をキングスの選手に届けよう、と。「想いを届ける」「想いを運ぶ」ということをやろうということになったんです。そこで試合当日、沖縄アリーナの一角を借りて、簡易防音室を作り、ブースターであるお客さんを呼び込み、一人ずつ声をもらいました。
実際、今、沖縄アリーナで流れている「ゴー!ゴー!キングス!」「ディフェンス!」という掛け声は、その時の声を集めて編集したものを流しています。流れているみんなの声を選手が聴いて、少しでも選手たちが勇気づけられているのなら、大げさに言えば、それがキングスの戦績にも関わっているんじゃないかなと思ったりしました。
ただ、この時の提案は予算が限られていたので、防音ブースと言っても、沖縄ヤマト運輸様の小さな段ボール箱を、約400個のガムテープを使いみんなでつなげ合わせた、手作り感満載の防音室だったんです。ですが、クライアントが想いをくみ取り、手作りでもやろうよということで、それを成し遂げた。小さなことですが、沖縄のためになったという実感がある仕事だったと思っています。
QUESTION.
営業の喜びについて教えてください。
案件を実行/納品して終わりではなく、結果、クライアントに満足していただきまた新しくお仕事の依頼を頂く。その時に、営業としてのやりがいや喜びを感じますね。
何かを達成するために、クライアントの予算を使って仕事をやるわけですが、そのお金って沖縄県民が生み出したお金で、沖縄県民のために使われるお金であって、しかもその一部が僕らの賃金になったりする。こういうお金の流れは、東京の規模の会社だと見えづらいと思うのですが、沖縄だとそこが見えやすくて。その想いをちゃんと受け取ってしっかり考えたいですし、大事に使わないといけないと強く思います。そのためにも営業としてできる限りの事を最大限やる。広告で消費者の心を動かして、経済活動を促し、それがまた沖縄のために還元される。実際に体現できた時には本当にやりがいを感じます。
QUESTION.
仕事の上で大切にしていることを教えてください。
僕自身が案件一つ一つにどれだけ熱量を注げるか、そしてチームを先導する営業として、皆の意識を集中させ案件に向き合う体制を構築出来るかが非常に大事だと思ってます。
QUESTION.
そのために心がけていることは何ですか。
例えば競合コンペに臨む場合、クライアントからオリエンテーションが行われ、与件をいただきます。この時、営業はオリエンシートを作る訳ですが、僕は与件の本質を導くことに誰よりもこだわり、注力します。そして自らの意見・意志を持つこと。「僕はこう思っています」というゆるぎない考えを携え、チームで議論を重ねるんです。その際、意見の相違から多少喧嘩になってもいいと思ってます。どういう形であれ、最終にたどりつたゴールがクライアントにとっていいものになれば、それが正解だと思っているので。
QUESTION.
プライベートと仕事との両立はどう考えていますか?
僕らの仕事は、業務とプライベートがあまり切り離されてないと思うんですね。プライベートで接するものが仕事に活かされますし、そういう意味ではプライベートと言われている時間にどれだけいろんなことをインプットして、クライアントのためになることを考えて提案するかということを常に意識しています。
今、ドライブしていても屋外広告があるし、家の中にいてもテレビがあるし、隣の友人の会話すらも発見の宝庫です。この企業はこういう広告を展開してるんだとか、スーパーにでも新商品の棚が取れているなとか、いろいろ見るところがあります。居酒屋やレストランに行っても、ここは次のCM撮影の際に使えそうだなとか考える。そういう意味では、業務中に企業研究するとかではなく、プライベートの充実が仕事の充実になる。そして仕事の充実がプライベートの充実になる。それに、いろんなクライアントさんを抱えていると、今まで興味を持てていなかった業界に対しても興味が湧いてくるので、日々のニュースも気になりはじめる。毎日発見ばかりですね。
QUESTION.
これから、仕事を通してやってみたことはありますか?
「沖縄のために何ができるのか」ということは、何十回も聞いた、皆が言う事だと思いますが、結局のところ、それしかないんですよね。
僕らの仕事って考えたものを世に出し、広く伝えていける立場にあると思います。広告を通して、沖縄の人たちの心が動かされ、それによって経済が回っていくのが一番の醍醐味だと感じます。だからこそ、これからもいろんな世代の人の心に少しでも響くものをつくり、届けていく、その1ピースを担えたらなと思います。